京都旅行 二日目 ①朝の散歩、静寂と生命。
今回は衝動で外へと飛び出した話。
HSP(ようはやたらと繊細な人)ということもあり、なかなか眠れず、もう今日は無理かなと思っていたそのとき、、
なんか、「早朝の京都ってよさそう」っていう、ただそれだけのシンプルな衝動が走り、サッと着替えてホテルを飛び出しました
ちなみにホテルのロビーはこんな感じで、静かでシンプル。
良い空間です。
5時くらいだったかな。
辺りは薄明るいですね。
街が動き出そうとしているような、その準備をしているような、クラウチングスタートの構えをしているような、そんな気がします。
夜型の僕には中々レアな光景です。
暫く歩くと、京都御苑に辿り着きました。
こんなところにあったんですね。
いや、むしろ偶然辿り着いてすみません京都御苑さん。
(御苑:天皇が所有する庭園)
木々生茂る入り口。
好きですね。
門をくぐると、街中とは思えないほどに広大な土地が広がっていました。
朝、活動をスタートするように鳥の声が聞こえてきます。
初夏の薫風とはよく言ったもので、夏夜の静寂とはまた違った、鳥の声混じる生命感のある静けさを感じました。
(薫風:初夏、新緑の間を吹いてくる快い風。)
雲みたいな木を見つけました
濃い影が雰囲気を増大させてますね。
なんか、敵キャラに出てきそう、空から攻撃をしかけてくるタイプのやつですね、多分
さあ、足を進めていくと、青紅葉が姿を現しました。
京都は青紅葉が綺麗だというのは聞いていたのですが、まさかここにあるとは思っていなかったので、驚きと喜びがmixed!でしたね。
けっこう大きく成長しているものもありました。
モクモク
秋の紅葉とはまた違った、新緑の清らかな生命を感じます。
明るみのある青紅葉が、力強い朝の光を投影していて、思わず心に静かな情動が湧き立ちました。
朝露滴る青紅葉を見たとき、感動でじんわりと身体が震えたんですけど、ほぼ自動的にスピノザの情動と身体についての観念を思い出した。
これは例えば、
「悲しいから泣く」のではなく
「泣くから悲しむことが可能」とすることです。これは鋭い。
確かに「綺麗」と思う前に、身体はほぼ自動的に震えてた気がする。
木陰の紅葉もいいなぁと
地面に枝垂れているとなんか距離的に親近感を感じますね笑
自然を綺麗に写せるレンズなんかも欲しいなと。
夏の青紅葉には自然のこれ以上なきまでの審美性を感じます。
大変強く魅了され、いつのまにか小一時間滞在していました。
すっかり空も明るくなりましたね
京都を京都たらしめているのは、なんなのかって考えたんですけど、
部分というよりは、総体として京都という世界が構築されているからなんですかね。
過去に住んでいたわけでもないのに、訪れるたびにどこか懐かしさと少し寂しさを感じます。
極めて日本的なわびさびと、どこか懐古的な生命感を持つ、それ自体が一つの生物のような町だなぁとしみじみ。
いまは普通に人が少ないですが、朝はとくに少ないですね。
限りになく無音に漸近している空間が広がっています...
いい天気。
パワーをもらえますね〜
あんまり写真には写っていませんが、走っている人やウォーキングしている人もたくさんいました。
近くにこんなところがあったらいいですよねほんと。
僕はというと、そこそこの距離を歩いたので、しばらく橋の下で休憩してました。
ん〜、橋の下ってなんか好きです。
良い風が吹いていましたね〜。
朝の散歩編はこの辺で🚶🏻♂️