追憶とパルプンテ

追憶と、これからと

風の谷のナウシカを観て

 

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風の谷のナウシカ 感想

 


今回は、前回のもののけ姫に引き続き風の谷のナウシカの感想を書いていきます!

 

 

 

いや〜、前回のもののけ姫ジブリの世界観に魅了されたといいますか、

ゲートを開かれたので今回はナウシカを。

この作品もほぼ初見です。


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いやいや、空いてますね、綺麗なほどに。
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ここまで空いている映画館も珍しいですね。

今年は、ここまで空いているnも珍しいということで、nには様々なものを代入できそうです。

 


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地味にジブリ感(?)を出すため、全身リネンの服、と下駄で演出(?)


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人、少ない...!

 

空間を表現する音の演出

まず、本作品もサウンドが世界観を秀逸に表現しているなと思いました。

迫りくる夥しい数の蟲、その切迫。

音のテンポが場の臨場感や鼓動の高まりを表しています。

 


また、腐海(フカイ)の森のファンタジー世界、丸く柔らかく包み込むような空間を、ゆっくりと泡がはじけるような柔和なサウンドが表現しているとも思いました。

 


本当に音は空間を形作りますね。

明暗の変化がすぐに感じ取れます。

しかしこの作品は、音が滑らかな連続体として繋がっているというよりはプツプツと切れているようにも感じました。

緊迫感のある戦闘シーン、緩やかな回想シーン、もちろん心拍数には波がありますが、乗り物で、例えるならギア1から急にギア6で運転しているかのような、雰囲気の急な切り替わりを感じました。

 

 

 

 

環境の大切さ

そして、ナウシカの胞子の部屋のシーンも印象的でした。

胞子は危険なものかと思いきや、それ自体はそうではなく、綺麗な土と水で管理されたものは無害だという。

何を表しているか。

土台の大切さです。

人間だってそうです。

 


いくらその人自体が人として無害でピュアでも、汚れた土台で暮らしていると知らぬ間にその人も危険なものになるかもしれません。

例えば学校、職場、さまざまなコミュニティ。

環境とは大切なものですね。

果たして僕らを取り巻く(比喩的な意味での)水、土は綺麗なものなのでしょうか、今一度考えさせられます。

 

 

 

強さと弱さは表裏一体

 

ナウシカが裏でルパに辛さ、弱みを見せ抱擁するシーンも印象的です。

 


風の谷ではナウシカは、自ら皆をまとめ、統率していく質実剛健なリーダーとして描かれています。これが公の姿です。

しかし人間24時間365日パワフルでいてはもちません。

大変屈強な彼女も、裏では、パーソナルな時間においては非常に思い悩んでいます。

 


当然です。自らに多くを課しているのですから、その分自らへの心身の負担は自らに跳ね返ります。

 


私たちの周りにも、強か(したたか)で全く弱みを見せない人、いますよね。

しかしそんな人でも、いや、そんな人こそ脆弱性を抱えている。

そんな人間らしい要素にも触れられたシーンでした。

 

 

 

偏狭さが孕む危険性

 

クシャナという皇女が出てきます。

トルメキアの人々のためとはいえど、彼女は腐海を焼き払い、大地を復活させようとしました。

しかしナウシカ腐海があるからこそ生活ができているという事実を諭されるシーンもあります。

それでも彼女は巨神兵を復活させ、腐海を焼き払おうとしました。

 


生命の力を軽んじた結果でしょう。

奇跡的にギリギリでナウシカが食い止めましたが、彼女がいなかったと思うと恐ろしいですね。

確かに腐海では人間は5分と生きられないほどに危険で、有害なものに見えます。

しかし実際は、人間が汚してしまった世界を浄化するために存在していたのです。

 


もちろんナウシカは↑の構造を理解していました。

しかしクシャナは皮相的にしか捉えず、偏狭な視野のために、腐海を破壊しようとしました。

 


ここで、ノーベル経済学賞ダニエル・カーネマンの言葉を思い出します。

人間は「目に見えたものがすべて」と思い込んでしまうものだ。と

それが人間の直感の働きですね。

 


訓練しないと、皮相的なものを超えた本質を捉えるのは難しいことです。

 

 

パラドシカルなオアシス

 

アスベルと共に砂の渦に飲み込まれてしまうシーン

ナウシカとアスベルは砂に飲み込まれてしまいます。死すらも覚悟するような場面かと思います。

 


実際にナウシカはその渦中で此岸と彼岸のその間の、微睡の回想に入ります。

まだ逝ってはいけないという悲痛な精神の叫び__

待ち受けるは寂寞か最果てか。

 


そう思いきや、

二人は神秘的な腐海の地下へと降り立ちます。

 


そこでは、どこか裏世界のように、幽邃の秘境のような、妙なほど静かな蒼の世界が広がっていました。

決して荘厳ではないものの、確かな煌びやかさをを持った神秘的な生命感が感じられました。

 


さて、そもそもですが腐海は汚染された世界を浄化するために存在していたんですよね、

つまりはこの神秘的な腐海も、「汚染」なくしては存在することもなかったと思うと、実にパラドシカルなオアシスのように思います。

 

呼応する命と命


ラストシーンでは、虜として利用されてしまった蟲を引き金に、我を忘れるほどに癇癪を起こしてしまった蟲の大群を呼び起こしてしまいました。こうなってしまってはもう終わりか。そう思った時にナウシカは命をかけて止めにかかります。一度はあっけなく跳ね除けられますし、現実的に考えてしまうと蟲たちの反逆を止めることは不可能だったでしょう。

しかしナウシカの持つ生命と呼応しあう不思議な力で、なんとか蟲の怒りを鎮め、戦を落着させ、再び平和を取り戻しました。

 


なんとか一件落着したものの、彼女には彼女なりの正義の形があったとはいえ、クシャナの権威にものを言わせた偏狭な行動は、取り返しのつかない結果を招きうるということもまた勉強になりますね。

権威、それを手にしている状態にこそ、その権威のベクトルを考える、それって現実に於いても凄く重要な考えなのかなとも思いました。

 


また、映画はナウシカの一部らしく、漫画は何編か続いてるみたいなのでそれも見てからしっかり考察してみたいなとも思いました!

 


今日はこの辺で。