追憶とパルプンテ

追憶と、これからと

京都旅行三日目 ①幽邃の秘境、瑠璃光院。

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京都三日目です。

 


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一度家に帰って、1日働いていたので一泊二日×2ですが、わかりにくいので三日目っていう表記にしました🚄

 


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今日の目的は、一眼見たかった瑠璃光院。

京都駅からバスが出てます、バス乗り場が難しすぎましたね、、

現在のところは、C2乗り場というところから行けます!

 


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最寄りのバス停に着きました

けっこう北部にきましたね

 

ポツポツと雨が降っています。


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橋の上から青紅葉を撮りました。

小雨なので、川遊びをしていた人もいました。


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真横に川が流れており、涼しいです

 


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苔の壁

静かながら確かな生命感があります..

 


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ひょこっ

 


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入り口はこんな感じ、5〜10分くらいしか並んでいないので、多分空いている方だと思います。

 

 

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待ち時間にすかさず撮影しました📸

 

 

 

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これは入り口の門の裏側。

深みと奥行きのある緑です。

 


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瑠璃光院の敷地に入っていながらも、建物はまだ入っていないので『どんなところなんだろうな』と期待が高まります...

 

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入り口の少し手前


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この日は不安定な天候で、このときも雨が降っていたんですが、時折、束の間の光さすタイミングで新緑の木漏れ日を撮影。

 

 

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(服はshinyaのleukというものを着ていました。)

 

 


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さあ、入り口を抜け、2階へ進むとそこには開放的で審美な和の空間が広がっていました。

肉眼で捉えたのは初めてのことです。

 


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都会の喧騒を離れた、幽邃(ゆうすい)の地、瑠璃光院。

 

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2階はメインスポットとも言えますし、

混み合っています。

 


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柔らに水滴る、そして虫は小さく鳴く。

ほのかに香る和の建築の香り___

五感を芯から恍惚させる生命感と日本の様式美には思わず身震いを覚えるほど___

 

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確かに写真でもその様相を確認できますが、

視覚以外の角度からも、私たちに静かに訴えかけてくるものを感じられる、そういう意味でもやはり訪れる価値が大いにあったなと。

 


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硬筆の体験ができるため、せっかくなのでやってみました。


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ここは1階です。

上から見下ろしていた庭園も、目線が変わると見え方も大きく変わりますね。

 

心なしか2階より涼しかったので暫く座って自然に浸りました。

 


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遠くで囁く鳥の声、そして強弱を持った虫の声に、生命の儚さを感じます。

 

 

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こちらはガラス越しの景色。
写真ではわからないけど、ダイレクトに自然を捉えるのとは微妙な違いを感じました。
僅かながら屈折して眼中に景色が入り込んでくる。
それもまたあはれ。

 

 

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水々しい自然の匂い、そしてほのかに線香が醸し出す香りが入り混じり、そこに和の精神を感じます。

 

 

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自然物とは思えないほど綺麗に整えられていて
かといって人工にも見えない生命感が感じられる。

 

これが庭師の業でしょうか、日本という国が宿す繊細な美意識を感じます。

造作性と無造作性、その絶妙な塩梅が、瑠璃光院を作り出しているようにも感じ取れました。

 

 

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音もまた空間を形作っている。

しばらくの間、水の音を感じていました。

なぜこんなにも自然の水の音に心を動かされるのか、その場で少し考えてみました。

 

 

岩の形状、凹凸が、ランダムな川の流れ、偶発的な音を作り出していて、その音に一抹の心地よさを感じるのかもしれない。

 

同じサイクルで、絶え間なく音が連続している、それはある種の律動とも言えるかもしれない。

 

しかし、その音の成立自体に、人工ではなし得ない偶然性があって、そこに自然特有のものを感じる。

自然の力で形成された音楽としての律動、そのランダムに生み出された音こそが、空間全体の生命感を感じさせるのではなかろうか。

 

前期ウィトゲンシュタイン哲学でもこんなことを言っていただろうか、言葉が思考を超えることはない。それは確かなことである。

それ故に言語化しきれないもどかしさがある。

しかしそれでも言語を、語彙を捻出して、言語という形で思考を投影しようと葛藤する、そんな時間もまた一興。

 


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五感を恍惚させる生命、和の精神が形成する静謐な様式美、

絶妙な距離感で自然と対峙し、心から味わうことのできる、幽邃の空間。

一歩足を踏み入れると、瑠璃光院は瑠璃光院としての確かな世界を作り出しているように思います。

 

 

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ありがとう、瑠璃光院。

またいつか___